いきなりですが、
自転車って凄くないですか…!?
ええ、皆さんご存知の
あの「自転車」のことです。
小さな子どもからお年寄りまで
みんな難なく乗りこなしている。
坂道なんか下っちゃってる。
あれ、ヤバいです。
間違いなくヤバい。
思わず叫びたくなりますね。
自転車半端ないって…!!
めっちゃタイヤ細いやん!
しかもタイヤ2個しかないし!!
だって不思議じゃないですか…
最初に自転車を発明した人には、
なんであの構造で
普通に人が乗れると考えたのか
小一時間問い詰めたい処ではありますが、
あんなサーカスみたいな乗り物を、
老若男女が当たり前のように乗りこなす。
ふと、思いました。
僕たちはなぜ自転車に乗れるのだろうか。
(もし乗れない人は頑張りましょう…!)
記憶を遡ってみましょう。
小さい頃に、
親と一緒に公園で練習をした。
何度も何度も転んで血だらけになって、
泣きながらも倒れた自転車を起こし続けた。
いつしか補助輪は外れていて、
親の支える手は離れていて、
気づけば乗れるようになっていた。
なぜ乗れるようになったんでしょうか。
それは、
周りが乗れるようになっているし、
"いつか乗れるようになること"が
「当たり前」だったから。
そして、
「自転車に乗る練習」をしたから。
周りの友達が乗れるのに
自分がまだ乗れないのは悔しい。
みんな公園に自転車で集合してるのに
自分だけ徒歩は恥ずかしい。
だから、毎日泣きながら練習する。
どれだけ擦り剥いてもやり続ける。
たった、これだけのことですよね。
では、もし大人になって初めて
自転車に出会う世界線だったなら、
僕たちは当たり前に
乗れるようになるでしょうか。
働きながら自転車に乗れるようになる人は
どのくらいいるのでしょうか。
「あれは天才しか乗れん。」
「彼には才能があるからだ。」
「あの人は親が〇〇だから、遺伝子が違う。」
とか。
色々な声が聞こえてきそうですね。
まるで何かとっても難しいことのような。
なるほど。
才能や遺伝のせいして
端から諦める人が多そうだ。
他にも、
時間がないとか、
お金がないとか、
余裕がないとか
別に歩けばいいし必要ないとか。
色々な言い訳が聞こえてくる。
中には、
「一歩踏み出そうかな」
っていう少しやる気がある人もいるでしょう。
そんな人も、
自転車についての本を読んでみたり、
「誰も知らない自転車の乗り方」
みたいな情報商材を買ってみたり。
自転車は具体例だとして、
世の中にはこの様なことが多くあります。
英語、資格、投資、起業、副業、
プログラミング、などなど……
そして、
巷にはこれらの書籍や情報商材なんかで
溢れかえっています。
まるでそこには
何か魔法のような情報が書いてあって、
それを読めば
できるようになるとでも言いたげなように。
他にも、
株をやりたいから
ひとまず投資の本を読んでみよう。
英語を喋りたいから
まず単語帳を買って勉強してみよう。
みたいな行動をとる人が数多います。
その気持ちは痛いほどわかります。
でも、
敢えて言います。
全然ちがう。
だから何事もできるようにならないんだ。
自転車の仕組みの本を読んだ。
自転車の乗り方の情報商材も購入した。
でも、なかなか乗れるようにはならないー。
自分の子どもがこんなことしてたら、
何してるんだってなりますよね。
まずは自転車に跨らせて
ハンドルを握らせますよね。
自転車に乗れるようになるためには、
「自転車に乗る練習」しかない。
こんな簡単なことをなぜ僕たちは
わからなくなってしまうのでしょうか。
まず株を買うんです。
まず英語を喋らなければ
死ぬ様な環境に身を置くんです。
きっと血だらけになるでしょう。
恥ずかしくて泣きたくなるでしょう。
そうして嫌でも学んでいくものなんです。
恥をかいたっていい。
転んでるところを見られるのは
恥ずかしい。
血だらけになって
泣いているところを見られるのは
もっと恥ずかしい。
だけど、
そうして自転車に乗れるようになったんだ。
誰もが初めは乗れなかった。
傷だらけになってでも
必死に何かを掴もうとしている人は
無条件にカッコイイです。
もしそんな人を笑うやつがいても、
僕だけは絶対に味方になります。
大人になるにつれて、
恥をかくことを嫌がり
やらない理由を探して正当化してしまう。
やろうと思っても、
ズレた努力をしていては
いつまでたったも成果がでない。
「自転車に乗る練習をする」
そんな簡単で大切なことを忘れないようにしたい。
そして、
「大人になってから自転車に乗れるようになる」
そんな大人でありたい。
おしまい