書評

行成薫著『名もなき世界のエンドロール』は、残酷なまでに一途な男達の物語だった。

『名もなき世界のエンドロール』は、
行成薫氏の小説で、第25回小説すばる新人賞の受賞作品です。

「小説すばる新人賞」は、浅井リョウ、熊谷達也など後の直木賞作家のみならず、
千早茜、荻原浩、堂場瞬一など数多くの人気作家を輩出しており、
それだけに作家志望者の注目度が高く応募総数も長編新人賞のなかではトップクラス、
受賞者の生き残り率も高いことで知られている言わずと知れた新人賞です。

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そんな激戦を勝ち抜いた本書は、
三十一歳の「俺」ことキダが高校時代を回想するシーンから物語の幕は開け、
半年前、十三年前、七年前、十年前、五ヶ月前、十六年前…
と時系列が行きつ戻りつ綴られていきます。

時系列が不規則に飛びながら、
「プロポーズ大作戦」決行に至るまでの記憶が断片的に散りばめられ、
読者は過去の断片を拾い集めながら読み進めていきます。

本屋さんで何気なく本書を手に取り
背表紙のあらすじを読んだときは、

夢の国のネズミよろしく、

「はははは〜!プロポーズ大作戦か!
山Pと長澤まさみのドラマみたいだな。
懐かしいな愉快だ愉快だー!!」

くらいの軽い気持ちで買ったんですよ。

ええ。ほんとに。

でも実際読み始めると、

「うんうん、そうなんだよ。」

「そうそう、わかる。男って馬鹿だよな。」

「そっか。真っ直ぐ想いをぶつけたいよな。」

これは…!
ページを捲る手が一向に止まらないのである…!!

気づいた時には読み終えていました。

そんな『名もなき世界のエンドロール』は2021年1月29日に、
岩田剛典、新田真剣佑のW主演により映画化されます。

映画を観る前でもいい、
映画を観たあとでもいい、
是非とも原作を読んでほしいです。

これから先は、
内容に大きく踏み込みますので、
まだ原作を読んでいない方は原作を読んだあとにまたお会いしましょう。

読んでみな。飛ぶぞ…!!

あらすじ

ドッキリを仕掛けるのが生き甲斐のマコトと、それに引っかかってばかりのキダは、
小学校からの幼馴染み。
そして、同じ境遇の転校生・ヨッチも加わり、
複雑な家庭環境で育った三人は大切な親友となったー。

30歳になり、社長になった「ドッキリスト」のマコトは、
「ビビリスト」の俺を巻き込んで、
史上最大の「プロポーズ大作戦」を決行すると言い出した。

しかし実はそれは、
十年もの歳月を費やして二人が企てた、
日本中を巻き込む“ある壮大な計画”だった─。

「一日あれば、世界は変わる。」
二人の十年にも及ぶ命がけの情熱は、彼女に届くのか?

なぜマコトが「ドッキリスト」になったのか。

マコトは小学生の頃から爆竹や花火、ビニール製の蛇や生きたトカゲなんかで
ランドセルがパンパンに膨れ上がっていて、
学校内でも「変人」としてやたら有名でした。
休み時間ともなれば必ず誰かの悲鳴が聞こえていたし、
マコトのドッキリのせいで授業がストップしたことは数知れず。

そんな生粋の「ドッキリスト」は、
八期連続大幅増益、右肩上がりの急成長企業たるワイン輸入代行会社の社長になった
今もなお、

「ええ。毎日のように。」

と秘書に笑われるくらい会社でドッキリを仕掛け回っています。

マコトはなぜそこまで「ドッキリ」に拘るのか。

その理由が十三年前、高校時代の
キダとヨッチの会話によって明らかになります。

マコトの父親は、マコトが物心つく前に
女を作って出て行きました。

マコトの母親はそれから女手一つでマコトを育てていましたが、
ストレスによる心の病気になり、しゃっくりが止まらなくなりました。

心の病気も重く、
調子が良い日は反応があるが、
ダメな日は虚空に向かって罵詈雑言を並べ立てたり、
きゃっきゃと無邪気に笑ったりして、人の存在に気づくことすらありませんでした。

そんな幼きマコトが、唯一母親との会話を試みた方法が、ドッキリでした。

"自分はここにいる"

とアピールするかのように。

「一瞬しゃっくりが止まって、お袋に褒められたことがあったと言っていた。」
ーまだ小さい頃の話だ。アイツの嬉しそうな顔が、網膜の奥深くに焼き付いていた。ー

支離滅裂で会話もままならない母親のしゃっくりが一度だけ止まり、
マコトは母親に褒められたことがありました。

父親のいないマコトにとって、
それがどれだけ嬉しかったことでしょう。

しかし、
母親の病気が良くなることはありませんでした。

「アイツのお袋は、病気を悪化させた挙句、ある日突然いなくなった。
今でも生きているか、死んでいるのかわからない。
結局、アイツの中には、母親という存在が消えて、ドッキリだけが残ったんだ。」

母親がある日を境にいなくなり、
母親と会話をする手段としてのドッキリだけが残ってしまいました。
目的を失い手段だけがマコトのなかに
残ってしまったのです。

「アイツはさ、ドッキリで人との距離を測っているんじゃねえかと思うよ。」

「アイツのドッキリはさ、
抑えきれない愛情だったり、相手の感情を感じるための物差しなんだ、と俺は理解している。」

マコトは小学生の頃から毎日ドッキリを仕掛け回ってはいたが、
人が慌てる様子を見て笑うというよりは、
人のリアクションをじっと観察して自分と世界との繋がりを探し回って、
結局その遠さにがっかりする。

幼馴染みのキダは、
マコトのドッキリを、彼の愛情と人との距離感を測る物差しであると分析しています。

愛情。

伝え方すらわからない人への想いが、
愛情の裏返しとしてドッキリになって表出される。

好きな人がいるけど、どう接したらいいかわからないからちょっかいをかける。
イタズラをして反応を楽しむ。

きっとそんな経験がある人も
多いのではなかろうか。

別にちょっかいをかけて嫌われたいわけでも、
イタズラをして困らせたいわけでもない。

ただ、どう接したらいいのかわからない。

貴方の世界に触れてみたいのに、
それを上手く伝えられない。

素直に気持ちを伝える方法がわからない。

僕たちは不器用だ。

傷つくのも怖い。

支えてくれるものが失くなり、
今にも倒れそうだったマコトにとって
「ドッキリ」は自分と世界の繋がりを認識する唯一の物差しだった。

いつもぶさけている瞳の奥には、
きっとどうしようもない悲しみがあります。

そしてマコトの瞳は、
うっすらと青みを帯びた暗黒で、
何よりも深くて透明な色をしています。

キダの告白。そしてそれに対する"答え"とは?

「前からずっと言おうと思ってて、でも今日はやめとこうと思ったんだけどさ、」

「うん、何?」

「俺は、ヨッチが好きなんだ」

十三年前の十八歳、
学校をサボりヨッチと過ごしたキダは、
ファミレスからの帰り道、
ヨッチに長年しまいこんでいた想いを告白をします。

それに対してヨッチは、

「あたしもさ、キダちゃんのこと大好きだよ」

「でもさ、ほんのちょっと、遅かったよ、キダちゃん」

と答えた。

小学生の頃酷いイジメを受けたヨッチは、
誰も助けてくれなくて、どこにも居場所がなくて、
死ぬ思いで逃げて転校してきました。

そして転校初日の自己紹介、
壇上で震えながらざんばらの金髪とぎらぎらした目を覗かせた少女に
三十人ほどの視線が槍のように降り注ぐ状況を、
キダとマコトが助けました。

そんなヨッチにとって、
キダとマコトは神様くらい特別で、
二人がいない人生なんてありえなくて、
絶対将来はキダとマコトと結婚して三人一緒に暮らすんだと思っていました。

でも、大人になるにつれ、三人一緒に暮らすことができないことに気づく。

じゃあ、どっちを選ばなければならないんだろうという壁にぶつかって、
水と酸素のどっちが欠けても生きられないように、
それ以上前に進めなくなってしまった。

だからキダかマコトが
女として好きになってくれたら、

「その時は、運命に、従おうって。」

ヨッチはそう心に決めていました。

そしてキダがヨッチに告白したニ日前、
マコトはヨッチに告白していたー。

「俺は、遅かったんだな」

「一昨日、突然だったんだ」

僕が言いたいことは一つだけだ。

思い立ったら、後先考えずに行動しよう。

行くか迷っている場所は行ってから考えるとか、
買うか迷っている物は買ってから考えるとか、
誘っても断られそうな人については、断られてから考えるとか。

断られたらどうしよう。

今までの関係性が崩れたらどうしよう。

そんなこと、悩むのはもう終わりだ。

「遅かったよ」

この言葉を聞かなくてもいいように。

「運命」

なんてものにもう邪魔されなくてすむように。

ヨッチと‘’エンドロール‘’

「お茶碗の端っこがちょっと欠けてたらさ、気になるじゃん。まあでも普通にご飯は食べられるから使うんだけど、ああ、新しいお茶碗に変えようかな、とか、いつ捨てようかな、とか、そういうこと考えちゃうんだよね。どっかでさ。」

ヨッチの父親は
小学校に上がる頃病死しています。

ヨッチの母親は夫との死別後水商売をはじめ、
ろくでなしの常連客と関係を持ち、
その男はしれっと転がり込み、当たり前のように住み着きました。 

なし崩し的にヨッチの母親と結婚し、
一人前に父親だ、などと尊大ぶるも、子供に愛情をかけるタイプではなく、
弱いくせにギャンブル好きで定職がなく、酒乱でした。
ヨッチの母の稼ぎをふんだくると、
競馬やら競艇に行っては負け、荒れて酒を飲み、
泥酔して帰宅すると決まって二人に暴力を振るいました。

その後学校を休みがちになったヨッチはイジメを受けるようになり、
転校を余儀なくされ、母方の実家に預けられるも母親は娘についてこなかった。

実の親に捨てられたのです。

そんなヨッチは、
再婚後の「偽パパ」と母親が家にいない日は、
病死した父親である「本パパ」が集めていた映画を物置から引っ張り出して
独り観ていた。

「でも、どんな話でも映画ってのは終わっちゃうんだよね。二時間くらいでさ。」

「なんかもう、終わっちゃうのが嫌で。
ハッピーエンドでも、悲劇でもさ、エンドロールが流れてくると、
涙が止まらなくなって、体が重くなって、やる気がでなくなって、死にたくなるわけ。」

「現実に戻るのが嫌だったのかもね。」

ヨッチの気持ちが苦しいほどわかる。

昔デートで映画を観に行って、
上映中に時計を気にしているのを
指摘されたことがある。 

決して映画がつまらなかったわけでも、
早く終わってほしかったわけでもない。

むしろ、その逆だ。

どんな映画にも終わりがあって。
それがハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうとも。

「ああ、あと何分くらいで終わってしまうんだな。」

って。

何日も前からずっと楽しみにしていて、
それが次第に終わりに近づいていく悲しみ。

僕はデートや旅行が"大嫌い"だ。

始まってしまったら、
あとは終わりを迎えるだけ。
計画や予定を立てて、
あと何日後に会えるな、早く会いたいな、
なんて一人考えているときが一番幸せだ。

別れ際が、終わり際が、寂しくて。

ひとりぼっちの僕は
誰かのなかにその刹那の一瞬だけ入り込んで
同じ時間を生きて、同じ感情を抱いて、一緒に笑って、一緒に泣く。

それでも終わりは訪れて
また自分だけの世界に弾き出される。

享楽的であるより刹那に生きていたいのに、

エンドロールはいつも死にたくなる。

きっと僕も、
お茶碗の端っこが欠けているんだろう。

「プロポーズ大作戦」とは。

ー轢き逃げ犯なんてさ、爆弾とかで吹っ飛ばしてやりゃいいんだよ。

「プロポーズ大作戦」

それは、
『リサという女性にヨッチが存在していたことを認めさせるための作戦』

でした。

どういうことか。

十一年前のクリスマス・イヴの日、
マコトは恋人になっていたヨッチに
婚約指輪を渡すことを決めていました。

そして迎えたクリスマス・イヴ当日、
ヨッチは予約したチキンの丸焼きを
お肉屋さんへ取りにいった道中、
無免許運転のリサの車に轢かれ亡くなりました。

そのときリサは轢かれたヨッチの救護をしなかった。
轢き逃げです。

しかし、その事件は闇に葬られた。

大会社の社長であるリサの父親が八方手を尽くしたことによって、
事件は「なかった」ことになり、
リサは「なにもしなかった」ことになった。
そしてヨッチは「いなかった」ことになった。

リサの父親は陰湿な完璧主義者であり、
事件に関わる何もかもを消し去ろうとし、
ゆっくりと、着実にヨッチの痕跡を潰していった。

三人が過ごした小中学校、
ヨッチの高校や短大。
ヨッチの痕跡が残る施設は次々に統廃されたり、買収されて消えていった。

ヨッチの戸籍、転居履歴、通院履歴、そういった類のものも、
念入りに一つ一つ潰されていった。
警察の捜査資料すらも何一つ残らなかった。

金の力は強く、世界の理を捻じ曲げることも、さほど難しいものではなかった。

誰かがこの事件を掘り返そうとしても、
何一つ見つからないように世界を作り替えていった。

リサがヨッチを轢き逃げしてから
半年経ったある日、
当時二十歳のキダとマコトが働いていた
「AUTO SHOP JIM」という板金塗装屋に
事故車の修理を依頼するためリサがやってきました。

「犬轢いた」と言って。

リサの車は超高級車で、材質も塗装の仕方も一般的なそれとは明らかに違っており、
事故現場に散らばっていた破片と同一のもので、
二人はリサの車を見た瞬間に、ヨッチを轢き逃げした車で間違いないと気づきました。

誰かが事件を揉み消そうとしていることは明らかで。
それでもしがない町工場の若者にはなす術なんて何もなかった。

マコトはその日のうちに退職願を出し、次の日にはもう作業場から姿を消していた。

「少しの金じゃあ、何もできない。
必要なのは常識を捻じ曲げるくらいの大金だ。」

と言い残して。

その日から二人の歯車が
大きく動きだしました。

十年にも及ぶ壮大な計画のはじまりだ。

それから
キダは〈交渉屋〉として、マコトは〈会社経営者〉として、
裏と表の社会でのし上がっていきます。

全てはリサに辿り着くため。

愛するヨッチを失ったことへの
復讐が目的だったのでしょうか。

否、もっと深く一途な想いがそこにはあった。

昔から何事にも怖いもの知らずなヨッチは、
唯一忘れられることや、
自分の存在自体が消えていくこと、
消されていくことが怖かった。

「少しでも付き合いのあった人に忘れられたらさ、
ああ、なんかその人の世界にあたしは必要なかったんだな、

価値ないんだな、って思うじゃん。
けど、近寄らなければ、忘れられることも、存在を消されることもないじゃない?
元々その人の中にいないわけだから。」

どうせ忘られるなら、
はじめから近づかない方がいい。

どうせみんな消えていくなら、
心なんて開かない方が傷つかない。

だけれども、
誰しも自分が生きた証をこの世界に残したい。

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ヨッチの存在を消さないため、
生きた証拠を残すため、
誰にも忘れさせないために、
男達は命を懸けた。

マコトは命懸けで成り上がり、
リサと交際する処まで辿り着きます。

そして
あの日から十年後のクリスマス・イヴの日、
史上最大の「プロポーズ大作戦」が決行された。

イベント会場のモニターを乗っとり、
マコトとリサが泊まった部屋の隠し撮り映像をリアルタイムで日本中に配信し、
マコトはヨッチのことを洗いざらいリサにぶちまける。

そしてヨッチを轢き逃げしたことをリサに自白させ、
リサもろとも爆死して命を断つ。

人気モデルが婚約者からプロポーズを受けているところが盗撮されていると思いきや、
頭上で爆死をする。
そんな強烈な「ドッキリ」を体験したのに
もしニュースにならなかったら、
誰かが揉み消そうとしていると人々は考える。

何千もの人間の口を封じ込めるなんて、
きっとできない。

みんな、
ヨッチって誰だ?と考える。
そんな人々の好奇心を使って、
ヨッチは存在し続ける。

それがどれだけ馬鹿げたことであろうが、
誰にも理解されないことであろうが、
無茶をしてでも一つのことに命を懸ける。

想いを貫き通す。

最高にカッコいいじゃないですか。
死ぬ間際に「自分は、やりきった。」
って思えるような生き様。

若者の狂気だ、無駄死にだ、などと言って
命を懸けないで生きるよりも。

いつの間にか、
なりたくもない「大人」にならないように。

どこまでも一途な男達の物語だった。

「もう、十年も気になってしょうがないんだよ。

「何がだ。」

「指輪だよ。ヨッチがさ、喜んでくれるかどうか、気になって夜も眠れねえんだよ。」

「気になるだろ、なあ。結構時間も経っちゃっただろ?そろそろ渡しに行きてえんだよ」

まとめ

「押ボタン式信号の押ボタンを押さなかったら、押ボタンの立場がないじゃない」

これはヨッチの口癖で、
本書の全てが詰まったフレーズです。

いつまでもこの言葉が胸に残っていて、
涙でエンドロールがよく見えない。

おしまい

-書評

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